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第1編 人事行政

第1部 人事行政この1年の主な動きと今後の課題

官僚達のネットワーク


東京大学先端科学技術研究センター教授

御厨 貴

公務員の姿をどう描くかは、そう容易なことではない。

筆者の勤め先の大学でも、最近はI種の国家公務員になろうとする学生の意欲がない。

国士型は今や昔だけれども、肩ひじはらぬ個性型も今や少ない。もともとが、"官吏"養成大学であり、これまでそのことにつゆほどの疑いをもたずにきただけに、悩みは深い。

しかし過去には公務員・官僚の黄金時代もあった。そのひとつは、1960年前後に花開いた一群の大蔵省官僚が築き上げたネットワークにある。それは「所得倍増」を実現した。後にも先にも大蔵省という組織から発生し、OBまで含めた様々なタイプの大蔵官僚を連鎖させながら、ひとつの政策を実現させた例はない。

池田勇人−田村敏雄−下村治それに香川鉄蔵。四人組に共通するのは大蔵官僚ということ。しかも池田・田村・下村の三者は、人生航路を順調に歩んできたわけではない。それどころか、病気体験や捕虜体験で、一度は大蔵省における出世スゴロクから下りざるをえなかった。エリート官僚の挫折そのものだ。その三人が負の部分を抱えこんだまま再び自己実現の道を歩み続けた結果、「所得倍増」という政策課題の達成へとたどりつく。

政治家に打って出て首相になった池田。池田と大蔵省同期でありながら、満州国官僚に転じて挫折を味わい、宏池会事務局長となった田村。長く肺病をわずらい、大蔵省きってのケインジアン理論家となって木曜会をとり仕切り、池田の経済ブレーンとなった下村。

田村と下村を結びつけたのは、帝大哲学科に学びながら中退し、大蔵省嘱託として独自の生き方を示し、若手官僚から「先生」と呼ばれた香川鉄蔵。彼もまた出世スゴロクをとっくに下りた人物であった。

逆境と啼観を生き抜いたこの四人の不思議なネットワークから生み出された「所得倍増」。誰が意図したわけでもない。歴史は時にこうしたいたずらをするものだ。しかしまたこれだけなら、<代表的公務員像>をテーマとする小文の意図にそぐわぬかもしれない。実はこれに、池田側近の同じく大蔵官僚OBの政治家たち、そして戦中−戦後と内閣調査機関に出向した後、大蔵省官房調査課に結集したエリート官僚たちの紡ぎ出すネットワークを無視しえないのだ。

前尾繁三郎、大平正芳、宮澤喜一。彼等はいずれも宏池会の会長を継ぎ、前尾は衆議院議長、大平・宮澤は首相に登りつめた。そして三人とも池田とは異なり、本を好み文章を自ら綴る文人肌のめずらしい政治家であった。かつての大蔵省は、時に驚くほどのエッセイスト・文筆家を輩出したが、彼等もまたその例にもれないということだ。そして「所得倍増」を推進する池田政治のソフトの部分は、まさに各々の資質を生かす形で彼等によって坦われた。

森永貞一郎、石野信一、谷村裕。彼等は、大蔵省官房調査課にあって、吉田内閣時代は池田勇人を支えた。その後、池田の影響力が希薄となった時期には、調査課としての組織防衛をはかりながら、省内に独自のネットワークを確立していく。そして1960年前後から、前記の様々な人脈と交錯しつつ、「政」と「官」との微妙なバランスを維持して、池田の「所得倍増」政策の実現をめざしていく。

こんな幅広く奥深い官僚たちのネットワークが形成された事実があるということを、今こそ想起しておきたい。公務員としての自己実現が、長い時間をかけて国家の行く末を左右する政策を生み出した"幸福な時代"が、いつの日かまたくることを期待して。


<参考文献>
沢木耕太朗「危機の宰相」(『1960・沢木耕太朗ノンフィクション7巻』文芸春秋・2004年)
牧原 出 『内閣政治と「大蔵省支配」』(中公叢書・2003年)

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