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第1編 《人事行政》

【第2部】 人事院の創立、変遷と国家公務員人事管理における現代的課題

第1節 人事院の創立、変遷

1 戦前の公務員制度(官吏制度)


戦前の公務員制度(官吏制度)の特徴は「天皇の官吏」であることであり、官吏は天皇に忠誠を尽くすことが必要とされていた。そのため、旧憲法の第1条の「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」という天皇主権を明示する規定等に対応して、同10条の「天皇ハ行政各部ノ官制及文武官ノ俸給ヲ定メ及文武官ヲ任免ス」という天皇の官制大権、任免大権を示した規定が設けられていた。「天皇の官吏」であることを基本とする戦前の公務員制度が、国民主権を原則とする新憲法の下、「国民全体の奉仕者」としての公務員制度に転換され、昭和23年12月に人事院は創立された。そこで、まず、戦前の公務員制度を概観する。

(1) 任用

明治維新後、明治政府の官吏(注1)は自由任用が原則であり、藩閥の情実任用が行われていたが、これに対して批判が起き、明治政府は明治20年以後試験制度を取り入れた(文官試験試補及見習規則(明治20年勅令第37号)、文官任用令(明治26年勅令第183号)、文官試験規則(明治26年勅令第197号)など)。しかし、大隈内閣が試験任用の対象外の勅任官に多くの党員を任命するという猟官を行ったことから、明治32年、山縣内閣は、官吏の任用資格を厳しくするため文官任用令の改正を行うとともに官吏の身分保障を厚くする(文官分限令(明治32年勅令第62号)など)等、官吏の人事に政党勢力が及ぶことを抑える方策を取った。

(注1)戦前の公務員は、天皇の下、天皇の大権に基づいて公務の担任を命ぜられた公法上の関係にある官吏と民法上の雇員、傭人等に分けられていた。公務員の中心であった官吏は高等官と判任官に分けられていた。とりわけ、高等官は、最上位のグループとして、等級が定められていない勅任官(各省大臣など親任式をもって叙任されるので親任官といわれていた)のグループがあり、その下に、高等官1等、2等の勅任官があり、一番下は、高等官3等から9等の奏任官のグループがあった。(P55 参考資料1「戦前の公務員の区分」参照)

なお、この後、文官の任用資格(試験資格を任用上必要としないとするいわゆる「自由任用」の範囲等)を巡って、頻繁に勅令の改正が行われ、また後述する官吏を自由に休職できるとする「官庁事務都合による休職制度」の濫用とあいまって、大きな政治課題となっていた。(P55参考資料2「政党政治と地方官の地位」、P56参考資料3「自由任用制度と官庁事務都合による休職」参照)

(2) 服務・身分保障

官吏の服務は、官吏服務紀律(明治20年勅令第39号)により定められており、官吏は「天皇陛下及天皇陛下ノ政府ニ対シ忠順勤勉ヲ主トシ法律命令ニ従ヒ各其職務ヲ尽スヘシ」とされ、その身分に伴う忠実無定量の服務の義務を負うとともに、命令遵守義務、機密保持義務、兼業の制限等が課せられていた。なお、一般の官吏と衆議院議員の兼職は、大正14年の衆議院議員選挙法の成立までは認められていた。

懲戒は文官懲戒令(明治32年勅令第63号)により定められ、懲戒事由は、①職務上の義務に違背し又は職務を怠ったとき、②職務内外を問わず官職上の威厳又は信用を失うべき行為があったときに限定され、処分の種類は免官、減俸、譴責の3種類とされた。この勅令の制定により、みだりに懲戒処分ができなくなった。

身分保障としては、文官分限令が定められ、親任官等を除き、免官事由は、①刑の宣告や懲戒処分を受けたとき、②不具廃疾、身体の衰弱等により職務を執るに堪えないとき、③免官を願い出たとき、④官制又は定員の改正により過員を生じたときに限定された。また、休職事由も①文官懲戒令の規定により懲戒委員会の審査に付されたとき、②刑事事件に関し告訴又は告発されたとき、③官制または定員の改正により過員を生じたとき、④官庁事務の都合により必要なときに限定され、①②の場合は、事件係属中は休職とされ、③④の場合は3年間の休職期間の満期には当然退官することとされた。なお、休職中は俸給の3分の1が支給された(④はもともと官庁の新陳代謝を促進するために設けられた規定であるが、政党勢力の猟官にも利用された)。

(3) 給与等の勤務条件

官吏の俸給決定については、旧憲法第10条により、天皇の大権に属することとされていた。官吏は一身を捧げて勤務に服すべき義務を負うものの、原則として、他に収入を得る途のない者であるから、国家はその生活を支持するために俸給を支給することとされ、その俸給は官吏としての地位や体面を保持するにふさわしいものという性格が強かった。具体的には、旧憲法の制定に先立つ明治19年に制定された高等官官等俸給令(明治19年勅令第6号)、判任官官等俸給令(明治19年勅令第36号)等により、俸給制度が作られていた。なお、官吏には特別に恩給制度が設けられていた。

戦前の俸給については、現在行われているような官民比較に基づく毎年の改定は行われず、明治43年及び大正9年の物価高騰を背景としたベースアップ、昭和6年の不況を背景とした減俸の3回が行われたにすぎない。なお、俸給のほか賞与や手当が支給されていた。

勤務時間、休暇については、大正11年の「官庁執務時間並休暇ニ関スル件」等により関連する規定が整備されていた。


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