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第1編 《人事行政》

【第2部】 人事院の創立、変遷と国家公務員人事管理における現代的課題

第1節 人事院の創立、変遷

3 人事院の創立


(1) 改正国家公務員法の成立の経緯

一般職の国家公務員については、労働組合法で警察、消防、監獄職員を除いて、労働組合の結成、加入が保障されるとともに、団体交渉権及び労働協約締結権が認められており、労働関係調整法では公務員の争議権も認められていた。これに伴い、公務員労働組合は急速に拡大した。

昭和23年に、全官公労は「7月闘争」において大幅な賃上げを要求し、政府との団体交渉が決裂すると中央労働委員会に提訴し、労働関係調整法による冷却期間が満了する同年8月7日に、一斉ストライキに突入する公算が高まっていた。このような状況の下、同年7月22日に芦田内閣総理大臣あてマッカーサー書簡が発出された。同書簡は、公務員の特殊性を強調し、団体交渉権・争議権を否認するための国家公務員法の改正を命ずるとともに、改正が行われるまでの臨時措置として、臨時人事委員会を公務員の利益保護の責任を有する機関とすること等を内容とするものであった。その後、同年7月31日に政令第201号が公布、施行され、総司令部との交渉を経て、国家公務員法改正案が同年11月に国会に提出され、同年11月30日に一部修正の上可決成立し、同年12月3日に公布、施行され、ここに現行公務員制度の枠組みが確立された。

(2) 人事委員会から人事院への改組(労働基本権の制限とその代償機能)

(1)に述べた昭和23年の改正国家公務員法により、国民全体の奉仕者という公務員の本質の徹底を期するため、公務員に対する労働関係法規の適用が排除され、労働基本権が制限されるとともに、政治的行為、私企業への関与等の制限が強化された。それに併せて、内閣総理大臣の所轄から内閣の所轄に移して独立性をさらに高めるとともに、組織自律権、準司法機能や予算上のある程度の独立性を認め、独自に規則を制定することができるとするなど人事委員会の組織と権限が強化され、名称も人事委員会から人事院に改称されることとなった。また、労働基本権の制限との関係で、人事院の勧告規定が追加された。

なお、国家公務員法の適用範囲が拡大され、各省庁の事務次官が一般職にされるなど、特別職の範囲が縮小された。


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