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第1編 《人事行政》

【第2部】 変革が迫られる国家公務員人事管理

各国における近代公務員制度の成立


● イギリス

イギリスの公務員(Civil Service)は、伝統的に国王の奉仕者とされているが、絶対君主制から議会制度の成立を経て今日に至るまでの間に、公務員制度の在り方は大きく変化している。

絶対君主制の時代には、君主による統治を実行するものとして官僚制が成立したが、議会制度が定着すると、政権党が官僚人事を自由に行おうとしたため、政権交代に伴う公務員の大幅な入れ替わりや、在職者の息子や甥への幹部公務員ポストの譲渡など、党派的人事、情実人事が行われ、その弊害が生じるようになった。そうした状況の中で、1853年提出のノースコート・トレヴェリアン報告を受け、人事委員会の設置、公開競争試験の導入といった成績主義に基づく公務員制度を確立するための改革が行われた。

第二次世界大戦後の1968年には、行政における素人主義の蔓延に問題意識を発したフルトン報告に基づき、公務員大学校の設置などを行う改革が実施された。その後、サッチャー政権によって行政効率の向上などの観点からニューパブリックマネジメント政策が推進され、人事管理の単位も労使交渉の単位である各省に分権化されたが、幹部公務員の任用については、現在に至るまで、独立機関である人事委員会が、成績主義に基づく公正な任用を確保する役割を果たしている。なお、公務員制度に関する成文法は長らく存在していなかったが、2010年、公務における中核的価値や人事委員会について規定した憲法事項改革・統治法が成立した。

● アメリカ

アメリカにおいては、伝統的に連邦行政の上層部は政権と進退をともにする政治任用とされる一方、それ以外の公務員については、猟官主義(スポイルズシステム)と成績主義(メリットシステム)の相克の歴史である。

19世紀前半においては、第7代ジャクソン大統領の下で、公職を民衆に大きく開放する政策をとったが、同後半に至り、イギリスにおける公務員制度改革の影響を受けて、猟官制改革の議論が行われるようになり、猟官に失敗した者による大統領暗殺事件の発生で論議に拍車がかかった。1883年に資格任用制と政治的中立性を基盤としたペンドルトン法(連邦公務員法)が制定され、独立の人事機関である連邦人事委員会を設置すること、公開競争試験制度に基づく任用を原則とすることなどが定められた。

20世紀に入り、メリットシステムが適用される公務員の割合は大きく増加するとともに、人事管理の集権化と標準化を進めることで、公務への科学的管理法の導入が促進された。具体的には、シカゴ市で開発された官職分類制度(職階制度)を1923年に連邦政府も導入し、各省間で給与制度が統一された。その後、1978年の公務員改革法により、人事行政機関の再編や上級管理職(SES)制度の創設など、公務員制度全般に関する改革が行われたほか、1980年代以降も二度にわたるヴォルカー委員会の報告などが行われ、優秀な人材の確保、人事管理の分権化などの観点から改革が進められている。

● ドイツ

ドイツにおける近代公務員制度は、他の欧米諸国に先立ち、18世紀にプロイセンにおいて、国家に対し忠誠関係に立つ官吏制度として成立した。元来、官吏(Beamte)は、君主の使用人であったが、官吏の役割は、特定党派に左右されない行政の中立的執行者に転化し、有力な専門職業集団の一つとなった。官吏には、各種の特別な忠誠・服従義務が課せられる一方、試験任用、終身身分保障、政治的中立の原則、恣意的免職の制限などが1794年のプロイセン一般領邦法をはじめその後の19世紀を通じての立法(特に、1873年の帝国官吏法の制定)により認められていった。このような中、局長等をいつでも一時退職に付すことができる政治的官吏の制度が、1852年の懲戒法で設けられたことも特筆される。これらは、第一次世界大戦後のワイマール共和国を経て、現在の連邦共和国憲法の「伝統的な職業官吏制度の諸原則」として引き継がれ、さらに発展することとされている。

なお、以上のような官吏のほか、ドイツにおいては、19世紀後半以降、行政の活動分野の拡張に伴い、国と私法上の勤務関係に立つ職員(Angestellte)や労働者(Arbeiter)も公務被用者として拡大していった。

● 日本

戦前の公務員は、「天皇の官吏」として国家に対して身分的な公法上の義務を負う「官吏」と私法上の契約関係に置かれていた「雇人・傭人」に分かれていた。このうち、官吏については、大陸系諸国の制度を参考に、明治20年(1887年)に試験制度が導入され、高等試験の合格は上級の官職への任用資格となった。その後、明治30年代以降には、政党勢力と藩閥元老グループとの確執を背景に、上級の官職のうち身分保障のない、自由任用(政治任用)による職の範囲の拡大・縮小が繰り返されたほか、大正末期から昭和初期にかけて、政党政治の定着の中で、「官庁事務都合による休職制度」が政治的な登用(猟官)に濫用され、政権交代ごとに地方機関にまで及ぶ大幅な人事異動が行われるなど、党派的な情実人事の弊害が拡大した。

戦後においては、その反省も踏まえ、公務員は、日本国憲法第15条において全体の奉仕者とされ、国家公務員法では、成績主義原則と身分保障を定めるとともに、人事行政の公正の確保等を担う中立・第三者機関である人事院を設置し、任用等に関する公正な基準・手続等が定められるなど、公正を確保するための厳格な仕組みが設けられたところである。


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