第89回行政フォーラム「外交の考え方」 要旨
「外交の考え方」
東京大学公共政策大学院特任教授 田中 均
官僚はプロフェッショナルであるという意識を強く持つ必要。政治に対してきちんと発言ができ,その根拠はプロフェッショナリズムでなければならない。
日本の外交:三つの柱
日本の外交には,基本的に三つの大きな柱がある。
- アメリカとの関係:日米関係は外交の基軸であるということ。
- 東アジアとの関係:いまは圧倒的にウエイトが高まっている。
- グローバルな関係:グローバルな国際関係の中で日本がどういう外交をしていくか。これは,基本的には国際社会と一緒に動いていくことなので,大事ではあるが,今日は割愛する。
日米関係
日米関係の過去
日本が戦争に負け,結果的にサンフランシスコ講和条約と日米安保条約が結ばれた。選択の余地はなかったのかもしれないが,アメリカに安全保障を依存して,軽武装で経済の再建に邁進をするということが日本の選択だった。
1960年改正安保条約においては,米国の日本防衛義務の明確化がはかられた。
その後,日本が経済成長を遂げて大きな国になっていったときに,アメリカの目から見て,同盟関係の利益の均衡という観点から「安保ただ乗り論」と言われる議論が出てきた。その中で,歴代の自民党政権は,防衛費の増大や米国に対する接受国支援という形で日本の役割を拡大していった。
[市場開放…日本の国益とは]
80年代半ば,私は米国との経済関係を担当する課長として日米経済摩擦に携わった。当時,日本の対米貿易黒字は600億ドルに達しており,日本に対する諸々の制裁法案が出てきて,日本はユニークな国だ,安保にただ乗りしているばかりか,日本の経済的な活動はアンフェアであるという議論が出てきた。
当時,私はアメリカとの間に26もの協定に携わり,MOSS(Maket Oriented Sector Selective approach)といった作業を通じ様々な分野において,日本の市場開放や規制緩和を進めた。
外交では「日本の国益とは何だ」ということを常に判断していかなければならない。その判断は,本来ならば国内行政と同じで政治がビジョンをもってやっていくものである。しかし,市場開放は既得権益を壊すことであり、政治の力でも中々それを壊していくことはできない。アメリカの外圧を使ってでも市場開放を進めないと日本は国際社会から孤立してしまうと考えた。
日米関係というものは,常に、日米同盟による日米それぞれの負担はフェアかという問いかけであった。
[危機管理からの問題意識]
1994年に北朝鮮との第一次核危機があり,緊張が高まる中,事務の内閣官房副長官だった石原信雄さんがヘッドになって危機管理計画が動き出した。
当時,私は危機管理担当の課長(総合外交政策局総務課長)として,外務省としての危機管理についての対応を整理したが,有事のときの法制がないので,アメリカからくる支援の要請や便宜供与に,なすすべがなかった。邦人救出ですら自衛隊の船は行けないし,民間の船もダメ。この国はまったく準備がない国だと思った。政治家に相談しても,殆どの人は「それは超法規的措置だ」と言われる始末だった。日本という国に果たして安全保障についての自覚があるのだろうか,これが普通の国かということに,非常に強い問題意識を持った。
[日米安保共同宣言…外交の基本はWin-Win]
それが1996年に日米安保の共同宣言につながる。当時,私は安全保障条約担当の実務的な責任者(外務省北米局審議官)であった。
外交の基本の考え方は,Win-Winである。それは,自分の利益を達成するために相手の利益も認めるという考え方である。外交においては交渉が基本になる以上,相手の利益も認めなければいけないし,利益の調整ということをやらなければいけない。
このときは,沖縄の基地問題、とりわけ普天間基地の返還が非常に大きな課題であった。そこで大事なことは,日本が日本の安全保障ということに対して当事者意識を持っていること,見識ある姿を示すことであった。「普天間を返還しろ」ということだけで交渉をすると,決して思ったような結果は作れない。だから,私は大きな絵の中での利益の調整をしたいと思った。日本という国が有事のときにきちんとした体制を取れること,それは安保の共同宣言を作り,その中にガイドラインの見直しを入れ,朝鮮半島の危機に当たって,日本が果たすべき役割をきちんと真正面から考える。沖縄の問題も,普天間の返還だけでなく,すべての問題を洗い出してやっていく,それが日米双方の利益に資することであり、描いた大きな地図だった。
【日米関係の現在】
私は現在の日米関係に相当危機感を持っている。普天間問題のハンドリングで,何が問われているかというと,日本が当事者として物事が実現できるかが問われている。安全保障上重要な問題を国内で色々な反対があるときに,自らの政治の力で問題を処理することができるかということを問われている。もしそれができなければ,日米関係は崩れていく。
普天間問題の判断の仕方がアメリカだけではなくて,この東アジアの諸国において不安感を喚起している。
非常に厳しい状態であるが,これに対処し,局面を打開していくためには時空を広げるということが必要である。時の概念,違う要素を持ち込み,米国との間だけでなく,日本の国民との間にも,Win-Winを作る必要がある。
私は,周りの環境が大きく変わってきているので,もう少し今の日米関係というのはその在り方を含めて検討する必要が出てきていると思う。少し時間を掛けて将来の日米関係の在り方というバックグラウンドミュージックをかけながら,年末までに普天間の問題を処理するのが日本のために最も正しい選択ではないか。
東アジアの問題
東アジアの問題は,どの省庁も関与している問題。日本の国内行政であれ,日本の国内経済であれ,人の管理であれ,安全保障であれ,いま東アジアを中心的に考えないで日本の行政は成り立たないし,日本の繁栄は担保できない。少子高齢化,労働力が減っていく中で,外国人も外国のマーケットも必要になってくる。ヨーロッパに行くと「日本は恵まれている。世界で最も成長していく中国やインドに近い唯一の先進国として非常に戦略的に好ましい位置にいるではないか。でもそれを活用していない」と言われる。これは一面,真理だろう。
例えば,飛行場,港湾も国内的要請だけで整備されてきた故に、あっという間に日本はメジャーでなくなっている。成長する東アジアの需要を十分吸収しているだろうか?
シンガポールと自由貿易協定を作ったときも,やりたかったのは医者とか看護婦とか介護士とかという人の動きだった。それがようやくインドネシアに伸び,フィリピンに伸びてきた。しかし,難しい日本語を課していては,技術労働者というのはあっという間に他の国にとられる。
[ルール作り…東アジアとの経済連携]
私たちが本当に考えなければいけないのは,これからの日本にとって何が必要なのか,東アジアを面として考える。その中で人の動き,物流,サービス,技術,そういうものを戦略的に考えていくということでなくてはならない。
そのために日本がするべきことは,東アジアでの経済・貿易についてのルール作りである。私は様々な国際会議で「リスクを最小にして繁栄の機会を最大化しよう」と言うのだが,そのためにはルール作りが必要である。経済貿易協定とは,様々な面でのルール作りである。モノ,サービス,資本,知的所有権,投資,諸々のルールを作る専門性を持っているのは,この地域では日本だけである。
そのためには,単に個別の経済連携協定を数多く作れば済むのではなく,日本は東アジアとの経済連携地域を作るという戦略を持って,それに従って急ぐべきことをやらなければならない,と思っている。
[中国の問題…機会とリスク]
同時に,中国というものをどう考えるかということに関わる不安もある。中国はこの5年間で,「Peaceful Rise 平和的台頭」から「中国の台頭は世界にとって好ましいことだ」と言い方が変わってきた。リーマンショック後,中国の内需拡大で世界に貢献しているという部分での中国の自信は物凄く強くなってきた。一方で,国内では若年の失業者が非常に増えているなど,国内の不満が高まっていく可能性もある。国内の問題がなかなか解決できないときに,求心力を高めるために外に対して攻撃的になるという可能性がないわけではない。中国のGDPが伸びる中で,軍事的能力の増大は今すぐではないが,将来は脅威となりうる。
東アジア,特に中国の環境問題やエネルギー効率の問題等には,非常に大きな潜在性と機会がある。この機会を活用するため,市場を統合し,経済連携協定を作ろうとする一方,同時にリスクをより少なくするために安全保障の枠組が必要となる。
中国を取り込んでルールを守らせ,将来に備える枠組を作り,信頼醸成を強化するということが必要で,それは日本だけの力では難しいからこそ,日米の強い体制の中で,安全保障の枠組を構築するべきである。
[安全保障の枠組…四層建て]
私は安全保障の枠組として,四層建てのビルを提唱している。グランドフロアには,日米安保体制をおき,二層目には,日米中の枠組で信頼醸成をやる。そこでは軍事的な動きというものについて予知能力を高める。三層目には,準地域の枠組を作る。朝鮮半島の六者協議といった安全保障についてステークを持った国々が集まって,協力的な安全保障について協議をする枠組である。最上層には,伝統的安全保障とは違う新しいものを作る。災害救済,海賊対策,テロ,大量核兵器の拡散といった新しい脅威に共同行動をする東アジアの枠組である。市場に対する脅威,一人ひとりの人間に対する脅威であり,国の体制が違っても共通の利益となる。
そのためにも,私は地域のinclusiveな組織に自衛隊がどんどん行動していかなければならないと思う。自衛隊が役割を果たすことについての整理として,集団的自衛権の行使の解釈についての見直しを早急に行い,地域のinclusiveな組織と一緒に行動させればよい。
国際関係が大きく変わり,国内の環境が変わり,豊かさも変わり,大きく物事が変わったときの国家の作り方が、60数年前の時点での国家の作り方にそれほど縛られる必要があるのかということについて,強い疑問を持つ。少なくとも国連安保理決議に基づく行動には参画するべきであるし,かつ地域における行動については諸外国と一緒にやっているところについては,日本は参加できるようにすべきであろう。
[日米関係の意味]
日米関係の今日的意味合いというのは,東アジアで好ましい大きな秩序を作っていくために強い日米関係が必要であるということに変わってきている。そして,これから日本国にとって一番真剣に悩まなければいけない問題は,中国を如何に建設的な存在にしていくかということ。それが日米安保体制をきちんとしておく必要がある一つの大きな理由である。こういうことを政治家は語るべきだと思う。
朝鮮半島問題
2002年9月11日の小泉総理の訪朝1年間ほど前から北朝鮮と交渉した。突然始めた訳ではない。行政官というのは自分の仕事についてずっと強い思いを持って生きてきている。いまいるポストは変わっていくけれども,そのポストを通じて得た経験とか知見というのは必ず後で物事を作っていくときの根源になっていく。
私の場合には,1987年に北東アジア課長となったのが契機。それまで韓国の人と話したこともなければ,ソウルに行ったこともなかったが,朝鮮半島というのは日本の外交の原点だと思った。2001年の暮れに局長になって以来,拉致の問題が圧倒的に重要な問題だった中で,北朝鮮とずっと話をして,その問題を解決するため,大きな絵を描いてWin-Winを作ろうとした。
外交とは,結果を作る作業であり,結果を作らずにプロセスだけで泳ぐということではない。プロセスを見せることが目的になっては外交ではない。
戦争は簡単に起こってしまう。第一次湾岸戦争のときも,次のイラク戦争のときも,最後まで起こらないのではないかと思っていた。しかし,一旦準備を始めると誤算が起こる。北朝鮮のように価値体系が違う国では,我々が考えている以上に,彼らの価値体系に基づく判断は大きく違うことがある。そこに誤算が起こって戦争につながる可能性があるからこそ,外交による解決を図らなければいけない。時空を広げ,一定のことをやっていけば必ずそうなるという世界を作ることであり,それが拉致、核やミサイル等の問題についての包括的解決に繋がる考え方である。
そこには政治の力,政治の覚悟というものが必要となる。当時の小泉総理大臣の最大の特徴は,決してポピュリストではなく,むしろ世論を変えることに自信があったことである。世論を変えるという力を持って,北朝鮮の問題にも取り組んだ。
北朝鮮の問題は,2002年以降,激しい反北朝鮮の風潮がある中,余程覚悟がないと危なくて触れない。それに向き合ってきちんと判断できるのは,覚悟を持った政治家であり総理大臣である。沖縄の問題,拉致の問題,北方領土といった,外交上大きな問題はすべてそうである。覚悟を持って腹をくくって,世論を恐れず世論を作り替えてやるぞという気概がなければ問題解決はできない。
相互調整を行える新しいシステムの構築を
内政と外政は物凄く近づいていて一体的に進めて行かざるを得ない中で,プロフェッショナルたる官僚と政治の適切な組合せという政治主導により,相互調整を行える機能を持った新しいシステムを作ってほしい。
日本という国がこれから繁栄した国であるためには,外務省だけが外交をやる時代ではない。国内官庁の方は常に外を見てもらいたい。外務省や防衛省の方は必ず中を見てもらいたい。その中で政治の覚悟の下で強い外交を進めていくのが外交の基本でなければいけない。