第3回(平成2年)「人事院総裁賞」個人部門受賞者
 
 
「北海道の海を守って」
 39年の長きにわたり、北海道各地の保安部に勤務し、その間、警備・救難・取締り業務に従事する傍ら、一刻を争う遭難事故等に即応し得るよう機関の整備に万全を期すなど、海上における職務一筋に精励し、海上保安業務に貢献してきたことが認められた。
 
三逵 市郎 
海上保安庁

 北海道出身。昭和26年釧路海上保安部網走警備救難署港内艇さふらん操機員に採用。以来、自然環境の厳しい北海道の地にあって、一貫して巡視船艇の乗組員として海上勤務に従事。現在、室蘭海上保安部苫小牧海上保安署巡視艇とまかぜ機関長。妻と2人。趣味は旅行・音楽鑑賞・園芸・社交ダンス。59歳。
 

 海上保安官の仕事は、海上における法令の励行・犯罪の予防・捜査、海難救助、海洋汚染の防止など、いわば、“海の警備官”。
 「TVなどでは、私達の活躍が一見派手に報道されますが、実際には地味で、かつ激務の連続です」。そうした状況の下、「社会秩序の維持と国民の安全を願って日夜勤務していることを知っていただきたい」。
 入庁当時は、戦後の混乱もやっと落ち着きを取り戻し、経済復興の兆しが見え始めた頃。
 当時、海上保安庁が警備救難業務に使用していた巡視船艇は、旧海軍が使用していた小型船艇。
 「船体、機関とも旧式で、部品も少なく、機関の整備は乗組員が油で真っ黒になりながら行っていました」。「仕事を終わって上陸する時、洗っても洗っても爪の間などに油滓がこびりつき、乗物に乗ったときなど手を出すのが恥ずかしい思いをしたものです」。
 しかし、「部品の調整などを自らの手で行ったことが、結果的には、機関員としての技術面 におけるいい勉強になりました」とも。
 現在、第一管区海上保安本部には八保安部が置かれているが、このうち六保安部の勤務を経験。その間、国境管区にあっては、外国警備艇からの日本漁船の保護、外国漁船の領海侵犯・不法操業に対する警備、さらには、多発する日本漁船によるサケ・マス・カニ等の密漁取締り業務に従事する。
 特に、昭和29年春の道東沖における漁船集団海難事件発生の際には、小樽海上保安部所属の巡視船に乗り組んでいたが、急きょ、派遣を命ぜられ、長期間にわたり海難救助に従事。
 「当時、台風以上に発達した低気圧の通過により海上は大しけで、自船の運航も意のままにならず、木の葉のように揉まれながら救助活動をしました」。「釧路に向け遭難漁船をえい航中、新たな救助指令を受け、1度に3、4隻数珠つなぎでえい航。休む暇もなく次の漁船救助のため沖合に反転するという状況でした」。しかし、「後刻、遭難者やその家族の方から大変感謝され、そのとき程、海上保安官としての職務に誇りを持ったことはありません」。
 釧路海上保安部巡視船だいおう乗船中の昭和53年には、海上保安庁初の砕氷能力を有するヘリコプター搭載型巡視船そうやの“ぎ装員”に発令される。「その時のことは今でも忘れることができません」。
 横浜鶴見造船所での完成引渡しの後、東京湾での観閲式、沖縄派遣、尖閣諸島などの島々の哨戒と慌ただしい日々の中で、「船上から見た景色の美しさは今でも瞼の裏に焼き付いています」。
 現在乗り組む巡視艇とまかぜは、26tの小型巡視艇。建造以来20年を経過し、船体、主機関ともにかなり老朽化している。「勤務も残りわずかですが、この主機関の整備を万全にして、次の機関長に引き継ぎたいと思っております」。  責任感の厚い、ベテラン機関長の顔であった。

(注)ぎ装員・・・船体が完成し進水した船に、運航に必要な装備を施す職員。
 
 
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