第8回(平成7年)「人事院総裁賞」個人部門受賞者
 
 
「原爆被爆者医療研究を縁の下で支える」
 原爆被爆者の基礎資料整理を丹念に行い、被爆に関する豊富なデータの整備、提供によって、被爆者医療研究の進展に寄与してきたことが認められました。
 
小久保 公子 
文部省

 広島県出身。昭和31年7月に厚生省国立予防研究所に採用され、同50年4月に同研究所の改組に伴い、文部省広島大学原爆放射能医学研究所に転任。平成2年より事務主任。夫と2男の4人家族。趣味は、山登り。60歳。
 

 小久保さんは、広島原爆被爆者約27万人の個人情報を登録した基礎資料として広く放射線被曝研究などに役立てられている被爆者データベースの拡充のための個人情報追加登録業務に永年従事して、緻密で根気のいるこの業務を、極めて迅速に行うことにより、唯一の被爆国としての豊富なデータ保存に貢献しています。また、個人別 の被爆状況を明確にする上で非常に有用な昭和20年当時の被爆状況説明用広島市地図を、独自の工夫を重ねて完成し、研究者に提供するなど原爆被爆者医療研究の進展に大きく寄与しています。

 
受賞の感想をお聞かせください

 大量の被爆者調査資料を整理、統合し、被爆者のデータベースを作り上げる作業に永年従事してきました。このたび栄誉ある賞をお受けすることになり、これまで共にこの仕事に関わってきた方々と一緒にこれを励みとして、今後も努力を続けたいと思っています。

 
仕事をしていて、充実感ややりがいを感じるのはどのようなときですか
 異なる資料の間で同一人を特定する仕事は、当然、姓、名を最重要項目としますが、被爆者の中で、戦時、創氏改名をさせられた朝鮮、韓国の方々は、現在は母国名を使用する例が多く、姓名による特定が困難になっています。しかし、こうしたケースを、別 の情報から結び付けることができたときなどは、仕事のやり甲斐を感じる一瞬です。
 
今までで特に印象に残っていることはどのようなことですか

 被爆者資料の中で、「被爆した場所」は、重要な項目ですが、あるとき、当時も今も広島市にはない「西松原町」と記入された調査票がでてきました。「松原町」であれば広島市内にありますが、これを松原町に組み入れることは、大胆過ぎるように思えました。後日、ある郷土史家の本に「昔、この辺りに参勤交代の松並木があり、西松原町と呼ばれていた。」と書いてあるのを見つけ、現在の「福島町」であることを発見したことがあります。また、被爆状況説明用広島市地図をつくろうとして、古地図、新地図を見てもどうしても描ききれない場所があった時のことですが、休日に現地へ行き、見当をつけていた場所に古い礎石を発見した時には「これだ!」と、頭に1本の線が浮かびました。このように、どうしても解けなかった疑問があるきっかけで解けた時のことが印象に残っています。

 
根気のいる仕事を永年続けてこられたご経験から、何か後輩に伝えていきたいことはありますか
 新しくこの仕事に参加してくる人達には、戦中、戦後の市民生活や参考資料へのアプローチ方法など、私自身が、それを知って面 白かったことなどを伝えるようにしていますが、いちばん大切なことは、ある仕事のどの部分を自分が受け持っているのかを理解して仕事に臨むことだと思います。


原医研被爆者人口データベースのコンピュータによる検索
 
 
 
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