第20回(平成19年)
 
 
頭が下がる
 
高橋 克彦
作 家
 
 世の中にはなんと過酷な仕事があり、なんと真摯な人々がいることだろう、とこの選考のたびに思う。もしこの選考に関わることがなければ、私は国家公務員の仕事について一生認識不足のまま過ごしたに違いない。もちろん警察庁や消防庁、海上保安庁のように犯罪や災害と真正面から向き合っているところの厳しさは分かっている。けれど他の省庁となると文官のイメージが大きく、頭を働かせることはあっても、肉体的なきつさとは無縁と思い込んでいた。いや、これは決して私に限らず、大方の国民が抱いているイメージでもあろう。しかし現実は違った。どんなに大金を積まれたとて引き受けたくない仕事が山ほどある。国のために働く人間なればこそ嫌でも取り組まなくてはならない仕事がいくらもあるのだ。選考する側という栄誉より、私にはこの事実を知り得たという喜びの方が大きい。こういう人々の踏ん張りが日本の品格と国威を支えてきたと言ってもいい。この賞の存在はもっと広く伝えられるべきだと本心から思う。どれだけ多くの国民がこの国に誇りを持つようになることだろう。少なくとも私はこの国を見直した。
 偏った判断であるのかも知れないが、私は選考委員を任せられるようになってから基準点を広い意味での『救済』と、僻地勤務などを含む『特殊性』に定めて選考に務めてきた。候補に選ばれた個人・職域すべていずれもが文句のつけがたい立派な業績で、正直迷わせられる。それにこの賞は文学賞のようにおなじ目的で作られた物語の優劣を決めるものでもない。人の生き方や仕事の厳しさも関わってくる。ましてや私の想像を遙かに超える過酷な仕事がほとんどだ。どこかで強引に線引きをしなければいつまでも決められない。その線が、私の場合、救済と仕事の特殊性だということだ。そうしていくつかに絞り込む過程の中、私はしばしば国家公務員となった自分を頭に描き、この仕事を命じられたらどこまで続けられるかと自問した。私にはやはり無理である。が、目の前にはそれを見事に果たした人々が居る。その途方もない忍耐と努力。頭が下がるとはこのことだ。こちらにまで勇気が与えられる気持ちとなる。
 それにしても、松本少年刑務所内に設置されている桐分校が総裁賞に選ばれたのは我が事のように嬉しい。何年か前、この分校のドキュメンタリーをたまたまテレビで見て、その理念の素晴らしさと、生徒の心底からの笑顔に接して思わず涙した。このときほど教育の大切さを教えられたことはない。日本という国の優しさも感じた。その桐分校が、私が選考委員であるときに候補に上げられ、ばかりか満場一致で総裁賞を得るなど信じられない。縁の深さを感じる。私にとって忘れ難い選考会となった。

 (人事院総裁賞選考委員会委員)
-総裁賞受賞者一覧に戻る-