第24回(平成23年)
 
 
「自己犠牲の集団」になり切れるか
 
橋本 五郎 
読売新聞特別編集委員
 
 すぐれた官僚であり、卓越した政治家だった後藤田正晴氏は、熟読すべき書である『政治とは何か』(講談社)を残した。「官僚支配」がいいことだとは思わない。しかし、政治が十分機能していない日本の政治の現実を考えれば、役人の士気が低下することは危険なことだとして、次のように書いている。
 〈ベネチアの千年にもわたる繁栄には、賢い外交の選択と国内の安定があった。国内の安定を支えたのは、支配層の内部対立を克服して行政を進めた優秀な官僚組織である(中略)役人というのは、あまり働かないで自分たちの利益ばかりを考える集団のようにみられがちだが、それは間違った見方だ。一つの集団としてみた場合、役人はしっかりとものを考え、自分をある程度まで犠牲にしてでも、とにかく世のために仕事をしようとする意識のある最も優れた集団である〉
 私もそう思う。そうでなければいけないと思う。不景気になると、「官僚バッシング」が日常化する。政治家もそうだが、むしろごく普通の国民が不満の捌け口を求めて「公務員叩き」に走る。ポピュリズム政治家は、その尻馬に乗って票を稼ごうとする。公務員制度改革の底流に、そういう面がないとは残念ながら言えない。
 人事院総裁賞の選考委員になって、とても嬉しかったのは、公務員であることを「天職」と思い、日夜苦闘している人たちがいることを再確認できたことである。どんな職業に従事しようが、自分のためだけではなく、めぐりめぐって世のため人のために少しは役に立っているのではないかと思えることは、生きる希望になるだろう。
 平成23年度人事院総裁賞を受賞した1個人、3団体の皆さんは、少なからず家族の犠牲があったことだろう。家族の支えがあって初めて仕事が全う出来たに違いないと思う。残念ながら選に漏れたのは、紙一重の差だったのであり、質的な違いはほとんどなかったと言っていい。人が一生をかけている仕事に等級を付けるかのようになってしまうのではないか。そう考えると、選考には実に辛いものがある。
 長引く不況を反映し、安定を求めて公務員を志望する若い人がいる一方で、「公務員バッシング」の中で、敬遠する若者も多いと聞く。教師は「聖職」なのか、それとも「労働者」なのかという議論が激しく闘わされたことがあった。
 私に言わせれば明らかである。「聖職」以外の何ものでもない。学校の先生は人の一生を左右する一番の職業だと思う。「聖職」のつもりでやってもらわなければ困るのである。
 それと同じように、公務員について、マックス・ウェーバーが『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』で論じている「天職」(Beruf, calling)という言葉を連想する。公に仕える人の層の厚さによって、国の厚みは決まるのではないかと思うのである。

 (人事院総裁賞選考委員会委員)
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