第25回(平成24年)

 

 

無 私 の 精 神

 

hashimoto

箕輪  幸人 

株式会社フジテレビジョン

取締役報道局長

 

公に尽くすとは、私事を捨てることでもある。

岩手県陸前高田市の戸羽太市長の手記(「被災地の本当の話をしよう 陸前高田市長が綴るあの日とこれから」ワニブックス[PLUS]新書)を読んで、公務とは何かを考えさせられた。

それは震災の翌日のこと。戸羽市長は市内を視察中に自宅近くを通ったが、立ち寄ることをしなかった。

「 あの地震の瞬間、私の妻は自宅にいました。電話が不通になってしまったため、この段階で安否は確認できていません。 ほんの数分、立ち寄ることもできましたが、 私は今「市長」として動いている。そこに私情を挟むことは許されない、という気持ちが強かったので、先を急ぎました。」

市民全員が危機的な状況に立たされているとして、  戸羽市長は個人の感情を押し殺したのだ。 自宅に立ち寄ったからと言って、誰が市長を批判できるだろうか。同様に市の職員もまた自分の家族のことを後回しにして、市民のことを最優先に考えて行動したという。

読んでいて胸がつまった。ここには、無私の人たちがいたからだ。

今回の人事院総裁賞の選考では、東日本大震災関連の候補が数多く推薦されてきた。 被災地で救援や復旧活動などにあたってきた人たちだ。 それぞれが、 戸羽市長と同じ思いを共有しているに違いない。 被災者のために尽くすその仕事ぶりは、甲乙つけ難いもので、選考委員泣かせだった。

それは、震災関連以外の職域や個人の候補も同様だった。

それだけに、惜しくも選に漏れた人たちに伝えたいことがある。

皆さんの仕事ぶりは、選考委員の心を揺さぶるものだった。日々の仕事の結果に拍手や喝采を求めず、ひたすら公務に打ち込む姿には、ただただ頭が下がる。

このような業務があったのかと驚くこともあった。国民の目に触れないところで、真摯に国民のために仕事をしている人たちがいることを知った。具体的な仕事を知れば知るほど、己の無知を恥じるばかりだ。 公務の実像を知らないくせに、 もっともらしく展開されている公務員批判が、なんとも薄っぺらなものに感じられて仕方がなかった。 私自身も、そうした批判に加担したことがなかったとはいえない。 それだけに、 もっともっと現場の実情とそこで働く人たちの心情を知りたくもなった。

公務の実像が、 広く社会に知れ渡ることを期待する。 そうすれば、 国民はこれまでの公務員批判に、誤解や曲解があったことを認識することだろう。 それは、 公務への信頼につながるとともに、 国民に安心感を与えるものになるはずだ。 自分たちの知らないところで、多くの公務員が国民のために働いてくれている。 日本の公務員は、 やはり捨てたものではない。


 (人事院総裁賞選考委員会委員)

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