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第1編 人事行政

特別寄稿 政治任用 〜専門家の目から見た展望と留意点〜

日本の官僚制と政治的任用

III 国会議員と官僚との関係


アメリカ人のインターネット・フォーラムで観察された、国会議員のスタッフがいないので、機能的には政策準備や質問準備を官僚が代替しているという見解は、過酷な労働条件の指摘であった。筆者が、同じ意見を幹部官僚と出会う機会があるたびに自分の意見として言ってみると、そのくらいやる気のあるものでなければウチには要らないよという反応が多い。

過剰勤務のエネルギーが何に使用されているかというと国会の質問・答弁関係であるという。政治との関係で、幹部官僚が国益と省益にかかる差し迫った環境で任務に就いていることは確かである。彼らはアメリカであれば、大統領府のスタッフとして仕事をしているであろう。さらに、彼らは、国会議員の発言の準備を確かにやっている。

しかし、ここで指摘しておかねばならないのは、この事実が妥当しているのは大体において議員立法に関してではないことである。議員立法でなく、内閣提出法案関係だからこそ、彼らは、国会での説明を積極的に自己の役割と考えている。彼らは、待機して質問が回ってくるのを待つだけでなく、国会議員の間を自発的に聞いて回る。アメリカ人の会話で登場する官僚の行動以上のことをやっているのである。しかし、アメリカ人にはこの点は分かりにくい。

ところが、議院内閣制のイギリス人にも分かりにくい。政府一般行政事務を「分担管理」するとは、日本では、分担したことは、大臣でなく省庁官僚制が責任を持つと意識された。議員立法が少ないなど、他の点では似ているイギリスでは、閣法(内閣提出法)を改定して国会に上程するのは大臣の仕事である。イギリスでも大臣の答弁資料を官僚が作る。ただし日本とイギリスの違いは、イギリスの官僚は、大臣に命じられて行う。これに対して、日本の積極型官僚制の伝統の中で、その責任は、省庁の強い哲学と利益関係を作り出し、縦割りと省益主義の弊害を作り出してしまった。

日本では、国会議員にスタッフがいても、大臣がリーダーシップを発揮するのでない限り、重要事項については、政策が省庁官僚制から出発する点に変化が生じないであろう。したがって、政治主導というのも、議員立法ではなく、閣法に関して、大臣がリーダーシップを発揮するかどうかである。

この議論を進めていけば、大臣がいかに選択されるかが重要になる。やはり政治家集団にも専門家を育てるべきである。政治家にも専門家とジェネラリストがいるに違いない。総理大臣になりそうな人は政党自身がジェネラリスト的な人事を行い、数個の枢要なポストを経験させるであろう。日本では、官僚制と政党はともに専門の欠如という同じ問題を抱えていたように思う。大臣の選択が当選回数が基準であり専門能力ではなかった。両者が同じ問題であったということは、これまでの日本が政策に悩んでこなかったと言うことである。言いたくないが外国に指針があることが多く、それに頼ってきたのである。ここは、政治を論じる場所ではない。しかし、日本は政治家も官僚も内向きであることは気になる。国際会議にもっと出席すべきである。国会重視で、大臣や幹部公務員の国際会議出席もままならぬということがあるとすれば、グローバリゼーションの国際的社交の必要に対応していない。


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