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第1編 人事行政
第1部 人事行政この1年の主な動きと今後の課題
ヘソ課長の戒め
作 家
童門冬二
ぼくは、51歳まで約30年東京都庁に勤めた。その間、「役所は"一期一会"の出会いの場」だと思いつづけた。即ち、まなべる人・語れる人・まなばせる人の三種類の人に遭遇する場所だ。ぼくが最初にたずさわったのは税金の滞納整理だった。税法で定められた強権を発動して、滞納者から強制的に税を徴収する仕事だ。若かったぼくには苦痛だった。
「もっとよろこばれる仕事(福祉とか公害防止とか)をしたい」
と思っていた。税務課長は福田さんといった。いつも課員と情報の共有を心がけ、課長会がすむと戻ってきて自席から、
「みんなちょっと手を休めてぼくの話をきいてくれ」
とどなり「きょうの課長会の議題」を全部話してくれた。「ぼくはウソをつかない。きみたちとはヘソとヘソを突きあわせてつきあう」というので、"ヘソ課長"とアダ名されていた。そのヘソ課長がある日ぼくにいった。
「おい、どうした? このごろ元気がないぞ」
「仕事が面白くないンです」
「仕事って滞納整理がか?」
「ええ、もっと住民によろこばれる仕事をさせてください」
これをきくとヘソ課長はいきなり、
「おまえはバカだ」
といった。ぼくはムッとして
「バカとはなんですか!」
とくってかかった。ヘソ課長はバカだからバカだというンだ、と譲らない。理由をきくぼくに課長はつぎのような説明をした。
・本来、滞納税の徴収は知事の仕事である
・が、知事が一軒々々滞納者を訪問するのは至難だ
・そこで地方税法ならびに都の税条例にもとづいて「徴収吏員」に仕事を委任する
・そのために身分を証する証明書を発行する
・したがっておまえは知事の身代りだ。もし滞納者が「この税はなんに使うンだ?」ときいたら、おまえは知事に代って都の予算の説明をしなければならない。それほど大事な仕事なのだ
「大体、おまえは都の予算書を勉強したことがあるのか、なければ時間外にぼくがレクチャーしてやる」
ヘソ課長はそういった。そして、
「ぼくの説明で納得できなければ、黒沢明監督の"生きる"と"七人の侍"という映画をみてこい。あの映画は主権在民と公僕のありかたをみごとに教えてくれる」
とつけ加えた。ぼくはさっそくこの映画をみた。そして、なるほどと感動した。いまでも公務員の研修ではこの2本を例に出す。
ヘソ課長はぼくにとって単なる上司ではない。
「公務員の生きかた」
を教えてくれた師だ。役所にはこういう人がたくさんいる。だからぼくはその後も
「まなべる人」
に出会うたびに
「オレは給料をもらって上司から生きかたをまなんでいる」
と感謝した。30余年の間に、少なくともこういう存在に10人は出会った。文字どおりの"一期一会"の連続だった。いまも必ずそういう人はいる。いない、というのはこちら側に"求める心"が不足しているためだ。ということは"主人は国民である"ということを真剣に考えていないためだろう。
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