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第1編 人事行政

第1部 人事行政この1年の主な動きと今後の課題

ジェネラリストとスペシャリスト


学習院大学教授

村松岐夫

戦後の60年、日本の官僚制には性格変化があった。また、官僚制をとりまく政治環境も変化し、社会経済の構造も複雑さをまして官僚組織の変革を促している。科学技術の発達も著しい。しかし、日本の官僚制の組織や人事にはあまり変化が見られない。一度できたシステムは変化しにくいものである。これは実は他の諸先進国でも同じである。しかし、日本も、他の先進諸国の官僚システムは転機を迎えている。短文であるので一つだけに絞るならば、日本で目立つのは、人事におけるスペシャリストの軽視である。このことは、日本の幹部官僚制に与えられてきた任務と関係がある。官僚は、戦後においても戦前と同じく、政府トップへの助言活動を期待されてきた。彼らは、政権党の政務調査会を根回しして利害調整をしながら実現に持っていくという政治過程でも一定の役割を果たすようになった。この仕事が質量ともにマグニテュードが大きい。そのためかどうか、官僚は行政を担当しその根幹は実施に基礎があるということになっているが、実際には、実施部分よりも企画立案を重視する傾向を強めた。

戦後にしだいに定着した人事行政を見ると、最初の十年くらいは外見上大差なく進み次第に選抜されて、幹部になるものが選ばれていく。この間の人事評価はどうするのかと各省幹部に尋ねたら、ほとんどの官僚は、「衆目の一致するところに落ち着いていく」と自然に組織の全体に共有された評価基準から選抜されていく様子を説明してくれた。このシステムでは、極端に言うと、全員が就職の時点から事務次官候補で、その中の一人に絞っていくという考え方である。そのため、昇任人事はポジションの異動と同時並行的に行われ、また、できるだけたくさんの役職を経験する配慮もなされる。これはジェネラリストをつくるための人事である。筆者は、このシステムの底にある価値基準について疑問を持つものである。この基準によって、優秀なスペシャリストを育てたか。金融機関に対する適切な検査行政や国際会計基準の理解や充実した預金保険機構の必要を早く認知する責任を自覚した専門実施者を育てたか。銀行の検査行政もここで言うスペシャリストであるが、これを専門とする人の地位は限定的であった。さらに高いレベルの金融行政は当然スペシャリストの仕事であるが、その地位を1、2年在職するだけのジェネラリストに与えてきた。日本くらいの経済力の国では、世界金融マフィアのメンバーが何人もいておかしくない。層が厚く専門家がいて、彼らの間の集団的相互監視があって、高度専門の任務は発揮できる。また企画立案の基礎にある実施の修練を経て、高度専門家の本当の力も鍛えられる。非加熱製剤事件における問題を発見する責任は外部委員会であったのか。外部委員会に委託するような専門性の高い行政活動でも、同等に責任を取ることができる能力が行政には必要ではなかったか。

ジェネラリストとは何でも知っているが特に深いスキルはない。これに対するスペシャリストとは、すべてにわたるという広い知識はないが、個別分野では深い知識があるという意味である。ここで言う深い知識とは、弁護士とか医者の資格のある人が長い経験を積んで得るようなレベルの知識である。行政においては、年金でも都市計画でも福祉でもその領域の最高の専門家が高いレベルの処遇を受ける仕組みになっていない。日本の行政は専門家を育ててこなかった。専門家がいてはじめて企画立案の仕事も成り立つはずであるが、その認識は不十分である。現在は、確かに政治家の大部分よりも官僚は政策知識も経験も深いが、日本の行政の専門度を外国と比べると怪しいものである。優秀な人材を採用することと、育てることは別である。

専門家の良いところは知識があるというだけではない。そのプロフェッショナルとしての倫理が世に知られ、その倫理と価値観が明らかであることによって世の信頼を得られるのである。これらの専門家でありプロフェッショナルである人たちがいてはじめて、調査を行うことができるし、先に触れた企画立案の質にもつながるのである。

ただし、専門的行政に力を入れると言うことは時間がかかるということも知らなければならない。担当者を増やすことが必要だと言うことにもなる。高度な専門知識と情報を持つ専門家の育成と各分野の行政の実施とは異なるが、実施の軽視が専門軽視の背景になっているように感じられる。建築確認の行政がどれだけコストのかかるものであるかを考えなかったのは、構造面での安全に固執するような専門家がいなかったからか、その専門家の主張を軽視する「実施論」があったからにちがいない。今人件費は削減対象であって、逆のことを言うのはおかしく聞こえるであろうが、必要な人件費は主張してこそ責任ある態度である。それが言えないとすればその程度の仕事しかしていないと公言したことになる。従来、日本の行政は、行政にかかる負担と「取引費用」を最低限でやるべしと考えてきた。負担をアウトソーシングしてきた。概して規制行政に見られる。それ故、業界との密着がしばしば度をすぎる。ネットワークを作り行政や国民や業界ともあうんの呼吸でやっていく行政が主流であった。人事行政の評価基準についても専門的知識よりも交際上手を重視してきたように思われる。


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