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第1編 人事行政

第1部 人事行政この1年の主な動きと今後の課題

開かれた公務の中核的な担い手


東京大学公共政策大学院院長

森田 朗

行政学の観点から公務員のあるべき姿を論じるとき、必ず言及されるのが、マックス・ウェーバーの「官僚制論」である。ウェーバーは、歴史において最も合理的な組織形態として、規則によって明確に権限と責任を定め、それをピラミッド型に配列した官僚組織の理念型を提示した。それとともに、そこで働く官僚像も示した。

それは、自らの職務を「天職」と捉え、私を殺して、君主に忠誠を誓い、国家のために全身全霊を捧げて働く高い能力をもった、選別された職業人としての公務員の像である。彼らは、そのような職務に就くがゆえに、社会的に尊敬を受け、在職中はもとより退職後においても一定の生活と身分の保障を受けるとされている。

このようなウェーバーの説く官僚制の基本的特質は、明治期以来のわが国の公務員制度においても採用されてきたといってよい。君主制から議会制民主主義へと大きな体制の転換を遂げた戦後改革によって、かつての「官吏」は「公務員」となり、「君主(天皇)への奉仕者」から「全体の奉仕者」に忠誠の対象は変わり、また、制限されているとはいえ労働者としての権利も認められるようになった。だが、公務員制度の骨格および公務員としての規範はウェーバーの理念型を受け継いできているといえよう。そして、そのような制度と規範を拠り所とした優秀な官僚が、わが国の近代化と戦後の高度成長において中核的な役割を果たしてきたことはまちがいない。

しかし、近年に至り、こうした公務員ないし公務員制度のあり方に対して、二つの方向から挑戦がなされている。

まず、「政治」との関係において、従来、党派性を基礎とする政治、政党に対して、「政治的中立性」を標榜し「全体の奉仕者」であることを規範としてきた公務員に対して、正統な民意の代表者とされている政治─政権党─が、その優位を主張し始めたことである。現憲法下で、タテマエとしては政治が優位に立つものの、戦後長期にわたって、実際には、「政」は、全体を代表する「官」が作る政策を受け入れ、それをオーソライズすることによって統治してきた。また、実際に「官」もその役割を果たしてきた。

しかし、とくに1993年の政権交代以降は、「政」の「官」に対する優位が強調され、90年代に実施された行政改革では、それを具体化するために内閣機能の強化が図られた。こうした傾向はその後も続いており、公務員の果たす役割を縮小することがあるべき改革の方向として叫ばれている。

また、「民」との関係においては、新しい公共管理論(NPM)の影響によって、政府の行う活動は非効率であり、これまでの行政の肥大化は国の活力を殺いでいる。「小さな政府」こそ望ましい姿であり、公務員の数もその役割も最小化することがわが国の発展のためには必要である、という発想に基づく行政改革が進められている。

こうした二つの挑戦の妥当性、合理性とその具体化である改革についての評価はともかく、これらの改革に一定の成果がみられる反面において、公務員のモラールが下がり、行政組織全体の活力の低下を招く可能性が指摘されている。もしそうだとすれば、それは、真にこれからのわが国のあるべき姿を考えたとき、看過できないことである。

その役割を縮小するにせよ、国や社会を成り立たせ、国民が平和で安心して暮らせる状態を維持していくためには、「公務」、すなわち公共的な職務は欠くことはできない。そして、逆説的ではあるが、今日ほど、公務の重要性が強調されている時代もない。NPOにせよ、ボランティアにせよ、公務員以外の一般国民や民間企業の公的な活動の必要性と、その公共的責任が説かれている。

このようなとき、上記の二つの挑戦に抵抗して、「公務の担い手=行政組織=公務員」という伝統的な発想に固執すべきではないであろう。だが、このように公共性が強調される時代にあって、いかに一般国民の参加が拡大するとしても、公共性を支える中心的な存在が公務員であることに変わりはない。むしろ、これからの公務員は、もっている能力と公共精神を国民のためにいかに発揮するか、ということを念頭に置きつつ、開かれた公務の中核的な担い手として、その役割を果たすことを期待したい。


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