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第1編 人事行政

第1部 人事行政この1年の主な動きと今後の課題

私の行政官人生の原点 −公務員になった諸君へ−


前・内閣官房副長官

古川貞二郎

私は九州大学4年のとき、人事院が実施する国家試験を受けて失敗し、長崎県の上級職を受けて県職員になった。昭和33年4月のことである。しかし佐賀の農家に生まれ、年老いた両親が田畑で働く姿をみて育った私は、厚生行政に対し、強い執着があった。苦労して働いた人は老後に幸せになるべき、それを担うのは厚生省だと思い込んでいたからである。そこで県庁に勤務しながら再度国家試験に挑戦し、幸い合格することができた。

昭和34年9月、採用試験に向けて寝台急行「雲仙」で上京しようとした私は、運悪く伊勢湾台風にぶつかり、寝台も取り消され、36時間かかってようやく東京にたどり着いた。早速人事院に行って願書をもらい、書類を整えて厚生省をはじめ幾つかの省庁をまわった。翌日疲労困ぱいの中、気力だけで面接に臨んだが不合格になってしまった。成績はそんなに悪くはなかった。このままでは引き下がれないと決意した私は、翌朝、人事課長に会いに行った。幸い会うことができたので、私はいかに厚生行政をやりたいか熱意を披瀝し、再度検討していただき、その日の夕方、内定の通知をもらうことができた。

長々とこんなことを記したのは、苦労話をしたいためではない。このことが私の長い行政官生活の原点になったからである。そのわけは、二つある。その一は苦労を重ねてやっと希望の役所に入ったので、もう恐いものはない、どんな困難があっても決して逃げないと、心に固く決めたことである。その結果、困難な仕事やポストに就いたときはルンルン、反対に易しい仕事ではドキドキということになった。誰でもできる仕事で失敗したらどうしようかと心配し、難しい仕事ではひとつやってやろうと、ルンルンというわけ。誰がみても難しい仕事に一生懸命取り組んでいると、交渉相手や周りが何とかしてやろうという気になってくるせいか、かえってうまくいくということがよくあった。

良かったわけの二つは、自分を強運だと信じたことである。肝のすわった人事課長に巡り合い、絶望のどん底からはい上がることができた強運。後に官房長や事務次官になり、採用側にまわってみて、私がやったことは殆ど無謀に近いものであることを知った。今日ふり返って好運、強運としか言いようがない。「どんなことがあっても逃げない」という条件なしの固い決意は、40余年にわたる私の行政官生活の原点になったように思う。

それから私は、上司運に恵まれたことを何ものかに感謝したい。入省して1〜2年の頃、上司、先輩から言われたことがある。その中に「二階級上のポストの意識で、自分の仕事をしっかりやれ」というのがある。つまり係員のときは課長補佐のつもりで係員としての務めをしっかり果たせ、係長のときは課長のつもりで係長としての、また課長補佐のときは、審議官や局長の気持ちで補佐としての仕事をしっかりやれということである。広い視野に立ち、より高い責任のある立場の意識でそれぞれの仕事に取り組め、ということだったと思う。

また先輩からは、語尾をはっきり言うようにと忠告された。どんなに理路整然と説明しても、最後のところで「もごもご」言うと、いかにも自信がないようにみえるというのである。ちょっとしたことのようだが、この忠告はその後の人生に大いに役に立った。

最後にポストは預かりものだという意識の徹底と、言葉を大切に、ということを申し上げたい。ポストは誰から預かっているかというと、国家公務員の場合、当然国民からである。その意識からは、威張ったり、責任を放棄したり、利欲に迷うということは全く出てこない。自分の言葉に責任を持つことも大切なことである。権限には必ず責任が伴う。自分が口にしたことには、実現に努力する。努力しようという気持ちがないのに、軽々に口にしない。今の世の中は、権限と責任が乖離しているので、言葉が軽くなっている。たとえ訥々とした言葉であっても、責任を伴った言葉は重い。そこから信頼感が生まれる。言葉は大切にしたいものである。

皆さんには蛇足かもしれないが、こうしたことをどこか心の片隅に置き、自分が納得のいく行政官人生を送ってもらいたいものだと切に思う。


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