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第21回(平成20年)「人事院総裁賞」個人部門受賞
 
 
名医を必要としないくらいに、喘息治療・管理のレベルをアップ
 
 西間さんは、小児喘息、重症心身障害児(者)医療に真摯に取り組み、喘息死亡者数を激減させるとともに、開かれた重症心身障害児(者)病棟を実現させるなど、医療・教育の充実に貢献したことが認められました。
 
 
西間 三馨
独立行政法人国立病院機構 
福岡病院長
 北九州市小倉生まれ。九州大学医学部時代は、熱帯医学研究会、空手部、自動車部の運営に熱中。卒業前後は「70年安保」等を背景に社会は賑やかで、学生、研修医の頃は「医の倫理」、「医の社会性」など夜を徹して熱く語った時代。ここでの経験が、その後の「自分の基盤をしっかり持ち、そのポジションで出来ることを誠心誠意、しっかりやる。結果は必ずついてくる。」の楽天的信念の原点。昭和43年九州大学医学部を卒業し同年医師免許取得、昭和48年、国立療養所南福岡病院(現・国立病院機構福岡病院)に着任、昭和63年院長に就任。
 趣味は「釣り」。かつて釣り船の船頭さんに「あんたスジがええばい。わしの後を継がんな。」と言われたほどの腕前。64歳。
   
受賞の感想をお聞かせください
 人事院総裁賞が何たるかは、率直に言ってよく把握できておりませんでした。申し訳ないことと存じます。しかし、歴代の個人部門受賞者を拝見し、私が受賞したことを本当に誇りに思いました。即ち、私が「職人」の一人であることを認めていただいたと思ったからです。また、良き先達、良き同輩、良き部下、良き患者・家族にも恵まれた結果とも思います。
 地道に長年、しっかり臨床をやって、結果を作ってきた、そのような多くの医師の中の一人に光りを与えていただき、誠に光栄に存じます。
 
この仕事のやりがいは
 「たとえハンディキャップを持っていても、次世代にはできるだけ普通の生活を保障する」との考えが喘息治療の結果に、「重い障害の子は社会の子」との考えが重症心身障害児の医療介護の結果に繋がったと思います。
 喘息治療でのやりがいは、長い期間の視点でみますと、我が国の治療・管理が格段の進歩をし、その治療の主座が大学病院・専門病院から一般病院へ、開業医へ、さらに家庭へと大きく移ってきたことに寄与できたことです。短い期間の視点では、自分の技量が目の前の患者・家族に直接役に立ち、その笑顔・喜び・安心をその都度共有できることです。
 重症心身障害児医療・介護では、障害者医療・福祉が大きく変化するなか、将来を見据えた、持続可能なシステム作りに関与し、一つのモデルを作ってきたことです。これが揺るぎない基礎を築くものであるか否かは、次代の評価に委ねたいと思います。
 
これまでの業務を通じて特に苦労されたことは
 普段、あまり意識しておりませんでしたが、この受賞を機に改めて考えてみますと、確かに苦労はあったものの「特に苦労したこと」はないのではないかと思います。いくばくかの壁らしきものはありましたが、それぞれ乗り越えたり、迂回したりして前進してきましたから、多くは思い出話となっています。
 性格的に、失敗してもそれを直ちに教訓として、すぐ次の手を考えて進むという楽天的気質のゆえかもしれません。
 
☆特に思い出に残っていることはありますか
 エピソードは枚挙にいとまがないくらい膨大にあり、今も次々と作っています。これを話題にすれば何日でも話ができるでしょう。私が現役の「職人」であることの証でもあると思っています。
 
国民に知ってもらいたいことはありますか
 私は、公務員だからできること、公務員だからすべきこと、といったことは、特別意識することもなく、目の前の仕事に没頭してきました。しかし、このような受賞の栄に浴し、振り返って考えるとき、その「公務員」が私の仕事の下支えであった事に気付きます。国民の皆様には、公務員の存在価値をきちんと見て、正当に理解してもらいたいと思っています。
 また、医療についても、多くの医師はこの時代にあっても日夜の別なく患者さんと精力的・誠心的に接しています。医師と患者は相互の信頼のもと、良きパートナーシップを築いて、日本の医療を守る目を患者=国民も持ってもらいたいと思っています。 
 
今後の抱負をお聞かせください
 平成二一年三月末をもって、定年退職となりますが、その後も引き続き次世代を担う医師・医療従事者の育成に何らかの形で関与し、日本の医療の向上に貢献し続けたいと願っています。
          

三世代にわたるホームドクターの院長
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