第26回(平成25年)

 

 

歴史の礎となる人々

 

西木 正明 

作 家

 

歴史の裏街道を歩みつつ仕事をして三〇年余りになる。そんな天の邪鬼的な生き方をしているせいか、折にふれてこんな質問を受ける。
 「あなたはどうして、歴史的にあまり知られていない人ばかり主人公に据えて書くのですか」
 これに対するわたしの答えは、
 「そういう人が好きだからです」
 「どうしてですか」
 「一将功成って万骨枯るという言葉があります。でもわたしは、実際に歴史を作ったのは後世に名を残した一将ではなく、その時代をひたすら生きて、自分のなすべきことに人生を捧げた人、すなわち歴史という大河の流れに沈んだ万骨こそが、歴史を作ったと信じています」
 こういうと、たいていの方が納得して下さる。そんなわたしだが、人事院総裁賞の選考委員を仰せつかった時はとまどいを覚えた。
 文学賞の審査なら多少経験している。審査のやりかたもそれなりに通じている。しかし、国家の中枢を担う官僚たちの業績を評価する作業となると話は別だ。
 なによりも、なにを基準として審査したらいいのか。文学の場合は、わりあいはっきりしている。文章力と構成力が基本であり、あとは読む者の感性をどう刺激してくれるかで勝負は決まる。
 しばらく逡巡した上で、自分なりの答えを出した。けっきょく、文学の評価と大きくはちがわないのではないか。わたしたち小説家の仕事は、基本的に登場人物の人生を描くことだ。その点に関しては、人事院総裁賞も同じなのではないか、と。
 さらにいえば、たとえば人里離れた辺境で黙々と自分が担うべき任務を果たし、その結果本人は意識しないままに大きな社会貢献をなし遂げる人がたくさんいるはずだ。よほど特別な例外を別にして、彼ないし彼女の人生が教科書に載るようなこともないだろう。
 これは浅学非才な自らが、文学の世界で追い求めてきた世界ではないのか。
 考え用によってはそうとう無茶で乱暴なこじつけだが、これなら自分でも勤まるのではないか。そう考えて、選考委員就任要請をお受けすることにしたのだった。
 実際にその作業に携わってみて感激した。こんなにもたくさんの人々が、黙々と務めを果たし、結果として大きな社会貢献を残しつつあるのか。ある人は目の前の仕事をただ任務とは考えず、自らの人生そのものと受け止めて研鑽し、傍目には人間業とは思えない高みにまで引き上げて行く。
 またある人々は一般市民の安寧や安全、時には国の行く末に関わるような事案や事件に立ち向かい、あたりまえのように解決して笑っている。
 今年もまた、そんな歴史の礎となるような人や組織と出会い、感謝の気持ちをこめて選ばせていただいた。


 (人事院総裁賞選考委員会委員)

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