第31回(平成30年)

全力投球を続ける人たち

 

 
 株式会社テレビ新広島代表取締役社長
 箕輪 幸人  氏
 

地元テレビ局の社長として、広島東洋カープのキャンプ(宮崎・日南)には、毎年足を運んでいる。守備練習を見ていて、ひときわ目立つのが菊池涼介選手。当たり前のことを、非凡なレベルまで続けた結果なのか。まるで動物のような俊敏な動きだ。
 「人が成功するには、努力と苦労の両方が必要」
 努力は宝石の原石を大きくし、苦労は宝石を磨く。経営コンサルタントの小宮一慶氏(「『一流』の仕事」日経ビジネス文庫)が述べている。
 人事院総裁賞に輝いた人たちにも、努力と苦労の日々があったに違いない。選考を通じて想像が広がった。
 個人部門で受賞した金澤正信氏は、海上保安庁の潜水士、いわゆる“海猿”である。ハードな仕事を行うため、体力の維持を含め、自己管理が求められる。そのため、気力・体力が充実している30代ぐらいまでが現役の限界で、その後は別の配置(陸上又は船)に異動するのが普通だと聞く。金澤さんはその激務を50歳まで続けてきた。体力面で20代の人に負けないぐらいの自負があり、人を直接助けたいとの使命感と、培った経験を若い世代に引き継ごうとの強い意思が支えだったと思われる。
 職域部門は、いつものことだが、推薦理由を読むたびに、このような仕事をしている人たちがいたのか、と驚くことばかり。
 「低潮線」、初めて聞く言葉だった。排他的経済水域の基礎と聞き、その重要性を理解した。冬季、厳しい自然環境に見舞われる、最北の港湾・宗谷港での仕事は、生易しいものではない。頭が下がる。
 「KAKIOKA」もまた国際的に重要な地磁気観測所と知ったのは、推薦理由を読んだから。106年もの長きにわたる地道な観測の結果が、航空機や船舶の安全運航の確保や、地震・火山活動評価等のために重要な情報として活用されている。もっと知られて良い存在だ。
 「泡盛」が飲みやすくなった裏に、この人たちがいたとは知らなかった。初めて飲んだのは昭和59年、強いお酒という印象だけが頭と身体を支配した。約10年後、あまりの飲みやすさに驚いた。沖縄土産に買い求める人が多いのも分かる。しかし、技術指導が公務で行われていたとは・・・。国家公務員の仕事は幅広い。しかし、沖縄のために意義のある仕事だ。
 「異常気象が日常化」した今、災害対応は重要である。推薦された職域は、甲乙つけがたいものばかり。生命の危険をかえりみず、発災直後の現場に乗り込んだ人たちがいた。その一方で、被災後の生活支援など地道な活動を担った人たちもいる。選考委員の意見が分かれたのは言うまでもない。意見の応酬はやがて集約され、九州農政局の農業支援を顕彰することでまとまった。
 惜しくも選から漏れたとはいえ、各省庁から推薦された個人や職域の仕事ぶりは、常に、全力投球を思わせるものばかりだった。まっすぐに仕事に向かう意志や行動は、国民の心にしっかりと受け止められるに違いない。

(人事院総裁賞選考委員会委員)

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